2024.10.17【宮台真司】戦後歌謡曲の流れをコードで整理する

歌謡曲とはジャンルではなく、お茶の間のラジオやテレビで流れる曲のこと。
演歌もアイドル歌謡もバンドもポップス(フレンチやアメリカン)も含まれる。
ジャンルではないとは、マス媒体によるお茶の間での享受形式だということ。
その意味で、ラジオ歌謡としての歌謡曲は戦前からあるが、今回は省略する。
なおコードとは「A/B」という二項図式。「A/B」=「快/不快」を意味する。

1)戦後ラジオ歌謡:地理コード「南方/内地」→「都会/地方」
笠置シズ子  1948 ジャングル・ブギー  3:05
フランク永井 1957 有楽町で会いましょう 3:34
小計 6:37

2)戦後テレビ歌謡へ:時間コード「もはや戦後ではない/戦後のまま」
石原裕次郎/牧村旬子 1961 銀座の恋の物語 4:23
坂本九  1961 上を向いて歩こう  3:08
梓みちよ  1963 こんにちは赤ちゃん  2:23
小計 9:54
累計 16:29

3)アメリカンボップスとその影響:世代コード「若者/大人」
ベンチャーズ  1964 ダイヤモンド・ヘッド  2:14
橋幸夫  1967 恋のメキシカン・ロック  3:15
ママス&パパス 1966 カリフォルニア・ドリーミング 2:42
ザ・ビーチ・ボーイズ 1966 グッド・バイブレーション  3:36
小計 11:47
累計 28:16

4)応答としてのグループサウンズ:世代コード「若者/大人」
ブルー・コメッツ 1967 ブルー・シャトウ 2:46
ザ・モップス  1968 朝まで待てない  3:13
ザ・テンプターズ 1968 今日を生きよう  2:59
ザ・タイガース  1968 廃墟の鳩  3:28
五つの赤い風船  1969 遠い世界に  4:12
ジャックス  1968 いい娘だね  2:41
小計 19:19
累計 47:35

5)歌謡曲の洗練:不倫歌謡:性愛コード「性愛/世間」
いしだあゆみ 1968 ブルーライト・ヨコハマ  3:04
佐川直美 1969 いいじゃないの幸せならば 3:31
丸山圭子  1976 どうぞこのまま 3:36
小計 10:11
累計 57:46
ここまでが約1時間で、前半になります。

6)フォークソング化:表現コード「自作表現/非自作表現」
吉田拓郎  1970 夏休み  3:26
井上陽水  1972 傘がない  6:28
南こうせつ 1973 神田川  3:09
伊勢正三  1974 22歳の別れ 3:16
さだまさし 1974 精霊流し  5:45
荒井由実  1973 ひこうき雲 3:27
小計 25:04
累計 1:22:50

7)歌謡曲の洗練:アイドル歌謡:魅力コード「かわいい/美しい」
南沙織  1971 17歳  2:48
浅田美代子  1973 赤い風船  3:06
太田裕美  1975 木綿のハンカチーフ 3:44
キャンディーズ 1975 年下の男の子  3:31
ピンクレディー 1976 ペッパー警部  3:13
山口百恵  1978 プレイバックPart2  3:23
石野真子  1978 狼なんか怖くない  3:12
小計 22:57
累計 1:45:47

8)歌謡曲の終りの始まり:ウォークマン発売1979年:享受コード「一人/共有」
YMO  1979 テクノポリス 4:15
Plastics 1980 Top Secret Man 2:27
ヒカシュー 1980 20世紀の終りに  2:24
小計 9:06
累計 1:54:53

9)J−POP時代の歌謡曲テイスト:学校を舞台に:「性愛/世間」コードの再燃
相対性理論 2009 地獄先生  3:09
累計 1:58:02
前半終了後、ここまでが約1時間で、後半になります。以下、分析です。

分析篇:ラストに「地獄先生」を挙げた理由:歌謡曲の作詞とは?

近田春夫さん。このリストは都立大学で歌謡曲論で使っていたものに準じますが、
歌謡曲の終わりの始まりとともに、若い人たちから社会性が失われ、意識が自分に
向くようになった動きが、如実に分かります。歌謡曲が享受形式の問題だからです。

但し、人々が社会的だったからコードを共有できたのではなく、逆に、人々がコー
ドを共有できたのは、ラジオやテレビなどのお茶の間メディアを通じて家族みんな
で聞いたという享受形式の御蔭であり、それが社会性を可能にしたのだと思います。

相対性理論の地獄先生を分析すると、先生を好きになっちゃいけないの?先生が私
を恋人として見ちゃいけないの?という疑問から、30年前まではそんな疑問があり
得なかった事実に突き当たり、社会的な認識に開かれる可能性があると言えます。

今でも誰にでも共有されたコードがあります。でもコードの共有を前提にその外に
出る営みがありません。共有コードに服属することに伴う葛藤や煩悶を–本心を–
語り合う機会が、過剰を回避して平均を演じる96年からの営みで、消えたからです。

現・高2女子が提出したレポートです。《授業参観、家庭訪問、放課後の校庭、受験
戦争、ホームルームの教室……無数の学校行事が続いていたところに「知らないこ
と知りたいの 見えないもの見たいの」という歌詞が挟まり、「最近 寝つき悪い
の…」と続きます》

《一番恥ずかしくなるのはここです。「最近寝つき悪いの 金縛り激しいの どう
してどうして 先生」。寝るときは制服を着ていません。それを大好きな先生に想
像させるのは、戦闘服を脱ぐことと同じです。先生なら(境界線を越えても)良い
よってサインになっていると思います。だからこの部分が、目をつぶってしまうほ
ど恥ずかしい》

驚異的に優れたコンテンツ分析です。「制服/私服」というコードを「社会時空/性愛
時空」「無表情/本心」「禁圧/解放」「疎外態/本来態」という具合に変奏していく
ことで性愛の本質をうがつことに成功している事実を、捉えています。これは分析
的知性をベースに詩的言語を紡ぐ、まさに阿久悠の作詞方法論です。

作詞作曲は1985年生(現在39歳)早大卒の真部脩一。小学生の頃はレンタルビデオ
のパッケージのキャッチコピーに読み耽っていたとのこと。<最低限の言葉で映画の
内容を的確に表現しているのが面白くて、それが今の作詞活動にも繋がっている>。
これは8ビートならぬ4ビートに言葉を乗せる歌謡曲のプロ作詞家の本質です。
https://www.cinra.net/article/column-otoheya-vol25-1-php

2024.10.17 宮台真司(社会学者・映画批評家)