24.11.07【宮台執筆】荒野塾秋学期|トランプ勝利を全面的に待望していた
宮台真司(社会学者・映画批評家)
2024.11.7執筆
今回のトランプ勝利を2016年に続き切望していた。ただ2016年はトランプ当選を
予想したが、今回はハリスかも…と思った。それは初速の大きさに加え、(後述の如く)
コアなリベラル層を遠ざける「イスラエルへの寛容」を、「武器供与の一時停止」の如
き「やってる感」で当然覆い隠すと思ったからだ。でもユダヤロビーへの配慮でそれ
はなく、コアなリベラル層が、特に選挙の命運を左右するペンシルベニアで逃げた。
【どの範囲の公正・公平か】
解説する。リベラルには元々理論的困難がある。⑴どの範囲の公正・公平か。「特定
の者達のためでなく皆のため」と言う時の「皆」とは誰か。結局は生活形式や世界観
が似た者達を、「皆」と呼ぶだけの御都合主義ではないか。その点、リベラル(米国で
は左翼とほぼ同義)は所詮「やってる感左翼(文化左翼)」だと喝破した1992年のロ
ーティは正しい。それがやっとコアリベラルに理解された。
1993年に『正義論』のロールズが、普遍的リベラリズムから政治的リベラリズムへ
の転向を表明したのも、「あなたが私でも耐えられるのか」という置換可能性を予期
する際、「普遍的基本財」を想定するという──米国人が基本財だと考えるものが普
遍だろうという──コミュニタリアンが指摘する夜郎自大ぶりを発揮せざるを得な
いことを、完全に論理的な問題として認めたからであった。
ローティは、問題が論理的であれ、帰結は感情的だとした。なぜか。米国内でさ
え、「やってる感左翼」に「普遍的な基本財」を押し付けられた者達は、自分たちの生
活形式(American Way of Life)をキャンセル(suppression)されたと感じ、リベラ
ルな法に罰を恐れて服しはするが抑鬱(depression)を蓄積、「条件が揃えば」集合的
に沸騰するからだ。デュルケム的な思考だ。さてどんな条件か。
「普遍的な基本財」のペテンが二重規範で露呈した時だ。ウェーバーは「友と敵で適用
規範を変える二重規範」が⟨共同体⟩の本質だとし、近代の⟨社会⟩が克服すべきものだ
とした。ロシアのウクライナ侵攻を「武力による現状変更」と糾弾しつつイスラエル
によるそれに寛容なバイデン=ハリス体制が、前近代的な二重規範を露呈した。最
もリベラルな宗教的・民族的弱者ほど「リベラル詐欺」に敏感だ。
日本では「在日は敵」とするウヨ豚(≠右翼)と同型に、「男は敵」とするクソフェミ(≠フ
ェミニスト)が特殊界隈に閉ざされた快不快の物差しを法化したがり、挙句はこの特
殊の普遍化を軽蔑する「キャンセルカルチャー」という言葉を、良い意味だと思い込
んで「キャンセルしましょう!」と唱導する爆笑ぶり。自らの享楽のために動員される
正義が、正義を顧みない享楽によって反撃されて当然だ。
【リベラルな法形成は達成か】
ローティは更にリベラルの理論的困難を指摘した。⑵リベラルな法形成を達成と見
做していいのか。これもローティは否とする。バスの座席に余裕があれば罰を恐れ
てリベラルな法に従えても、バスの座席に余裕がなくなれば──法的処罰よりも不
利益が勝れば──黒人や女に「オマエらが座る場所じゃねえぞ」とバックラッシュし
て当然。「やってる感左翼」はそれさえも想定しない頓馬だと。
ローティが踏まえるのは「法的処罰を恐れて人を殺さない社会」と「良心ゆえに人を
殺さない社会」を(プラトンに倣って)区別したアリストテレス。アリストテレスは法
の拒絶ではなく、良心を期待できない社会での(最低限の)法の必要を訴えた。そこ
には法か良心(道徳)かの二者択一はない。それを踏まえない、「法形成さえあれば」
と考える「やってる感左翼」の頓馬さを、ローティは批判した。
直前に、数理哲学から出たローティは、「俺はプラグマティスト」と表明した。プラ
グマティストは「内から湧く力」(エマソンの「内なる光」)しか信じない。いわく、真
理だから、法だからといって、人には力が湧かない。力が湧くには、真理や法が指
し示す方向に感情が働く「育ちの良さ」が必要。だからローティはルソーの
emotional educationをもじったsentimental educationを唱導した*。
*リチャード・ローティの代表的2著作と1講義録
偶然性、アイロニー、連帯 https://is.gd/7c1iRV
アメリカ未完のプロジェクト https://is.gd/E5O0e1
人権について―アムネスティ・レクチャーズ https://is.gd/AKrq6s
【やってる感左翼が全ての元凶】
まとめる。ローティの「やってる感左翼」批判は2点。①万人の平等を訴えるリベラ
リズムは、所詮は仲間内の平等を訴えるだけで終了。心がけの問題ではなく論理的
な問題だ。②たとえ仲間内であれ、リベラルな法はリベラルな内発性(内から湧く
力)の有無を無関連化するから、いずれは必ず法的正義を享楽で打ち壊すバックラッ
シュに帰結。アリストテレスが示唆した普遍的な統治問題だ。
今回大統領選で露呈したのは、民主制が抱える問題か。それもあるが正確には「やっ
てる感左翼」の問題だ。「バイデン政権下の経済的苦境がトランプの経済政策に期待
させた」と人は言う。甘い。経済的苦境が、⑴「リベラルな法も損得勘定で従われる
だけ」「リベラルな法に従えるのは恵まれた者」という事実と、⑵「リベラルが仲間だ
と思うのは、弱者ならぬ、恵まれたリベラルだけ」という事実を、炙り出した*。
*これは2つの事実は宗教ワークショップで取り上げてきたイエス信仰の核だ
言わずもがなだと思って内外の論評を眺めていた。だが「バイデン政権下の経済的苦
境がトランプの経済政策に期待させた」云々ばかり。学問を修めた者は、上記の「ロ
ーティ問題」と、今回は論じないが「孤独による抑鬱を、経済的苦境が増幅し、気分
スッキリ火遊びバーンの表出を招く」という「フランクフルト学派問題」を指摘して当
然だ。だが指摘がないので、「言わずもがなレベル」の話をした。
なお、この文章は、一昨日に「荒野塾・第1回」が終わった所で、第2回の事前課題
として配布したものだが、関係者の一部に「本来なら新聞の社説に書かれるべきこと
なのに、書かれていないのだから、広く公開すべきだ」との声が挙がったので、ここ
に公開する。民主制(民主的制度)があれ、「民主政の民主政以前的前提」が満たされ
ない限り、民主政として機能しない。前提の一部が上記教養だが*、それはない。
*かかる教養が脱落した国がキリスト教原理主義的だと称されるのも笑える
PDF版はこちら:https://is.gd/92aIFA